野田の戊辰戦争3

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1.幕末における関宿藩
2.上野戦争
3.上野戦争後の関宿藩
関連所蔵絵図解説
参考文献

上野戦争後―関宿藩士の行方―

顕彰碑 上野戦争で敗れた佐幕派藩士の19名は、さらにこの後会津藩の若松城へ向かい、官軍に抵抗した。
しかし同城も落城し、山中に逃れた者もいたが大部分は捕らえられ、一旦長州藩に預けられた。
そして、「罪科一等を減ぜられ、居宅謹慎」を命ぜられ、関宿藩へ引き渡された。
久世藩の勤皇派の中心人物であった杉山対軒は、明治2年4月20日、江戸から帰藩の途中反対派の刺客によって暗殺された(現在の埼玉県北葛飾郡杉戸町並塚)。
顕彰碑は市内の浄土宗光岳寺にある。
一方、佐幕派の中心人物であった木村正右衛門は、上野戦争の敗北後、藩主広文とともに、上野山内を脱走して佐倉に逃げた。
そして、沼津市へ移り、同市の兵学校教頭となった。
氏名を山田大夢と改め、静岡県師範学校の初代校長も務めた。

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