野田と小金牧1

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1 小金牧
2 将軍の鹿狩
3 下総牧のその後
4 庄内牧(野田の小金牧)
5 庄内牧(野田の小金牧)2
参考文献

小金牧

野馬除土手イメージ模型

わたしたちが住む千葉県北部地域の土地は、下総台地と言われ、富士山の火山灰が積もってできた関東ローム層という酸性の強い土地です。
そのため、農耕には適さない土地が多く、昔は自然のままの原野が広がっていました。
そうした原野・荒野に、周辺村落から逃亡した馬や、捨てられた病傷馬などが原野で繁殖し、その結果自然発生的に牧場のようなものができたようです。
かつては牛馬の放養飼育地のことを「牧」と呼んでいました。
わたしたちが住む千葉県北部には昔、いくつ位の牧があったのでしょうか。
現在残っている最古の古書で、平安時代初期に編纂された「延喜式(927年)」(平安時代の法律)の中では、高津馬牧・大結馬牧・本嶋馬牧・長州馬牧・浮嶋牛牧の5牧が記されており、この下総台地一帯には古くから牧場があったことがわかります。 徳川幕府は、馬牧の経営や馬の育成に力を入れ、野馬を近郊農民達にも売り払ったりしていました。そのため幕府は、「小金牧」「佐倉牧」の2つの牧をつくりました。
牧は徳川幕府の終結と共に廃止され、新田開発を目的として、牧野が開拓されました。

成田名所図会より
成田図会 成田図会
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