野田と小金牧3

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1 小金牧
2 将軍の鹿狩
3 下総牧のその後
4 庄内牧(野田の小金牧)
5 庄内牧(野田の小金牧)2
参考文献

下総牧のその後

明治2年になると明治政府は、維新事業に成功して、一番最初に手がけた事業が下総牧(小金牧、佐倉牧)などを廃止し開墾入植させる計画でした。
東京市中には、全国から集まってきた旧武士階級の人たち、全国から東京へ行けば何か職があるだろうと上京してきた無職の人間たちがたくさんおり、そういう人たちが社会不安の種になるということもあって、約8,000人が入植開墾させられました。
政府から20万両の援助を得てこの事業を担当したのが三井八郎右衛門を総頭取とする開墾会社で、会社は東京の富裕な商人たちの出資金で組織されました。
しかしこの事業は失敗して明治5年に解散し、会社は政府の方針に沿って、入植者1戸当り3反5畝を無償で与え、開墾会社出資者は出資金一円当り一反歩の割で旧牧野を割当てられます。
この開墾殖産事業の結末は、激動期という時世の理由もあり、また当局の当初の不手際も手伝い、地区によってはのちのちまで困難な、複雑深刻な問題を残しました。
そして、13の開墾集落が出来まして、入植地は入植順の番号に因んだ地名がつけられました。

 1番目 初富(はつとみ)(鎌ヶ谷市)-小金牧内・中野牧
 2番目 二(ふた)和(わ)(船橋市)-小金牧内・下野牧
 3番目 三咲(みさき)(船橋市)-小金牧内・下野牧
 4番目 豊(とよ)四季(しき)(柏市)-小金牧内・上野牧
 5番目 五(ご)香(こう)(松戸市)-小金牧内・中野牧
 6番目 六(むつ)実(み)(松戸市)-小金牧内・中野牧
 7番目 七(なな)栄(え)(富里市)-佐倉牧内・内野牧
 8番目 八街(やちまた)(八街市)-佐倉牧内・柳沢牧
 9番目 九(く)美上(みあげ)(佐原市)-佐倉牧内・油田牧
 10番目 十倉(とくら)(富里市)-佐倉牧内・高野牧
 11番目 十余一(とよいち)(白井市)-小金牧内・印西牧
 12番目 十余二(とよふた)(柏市)-小金牧内・高田台牧
 13番目 十余三(とよみ)(成田市)-佐倉牧内・矢作牧

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